1981年8月16日(獅子座)神戸出身。東邦出版に勤務するフットボールジャンキーな編集長・中林良輔による多角的サッカー日記。カントナとゴッドファーザーをリスペクトし、心のクラブはマンU。
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はい。今夜の日記はとてもプライベートでとても長いです。僕に興味を持ってくれている親しい方のみ覚悟してお付き合いを。

昨晩はジャンキーの義兄弟(次男)とACL決勝のレッズ戦をいつもお世話になっているディスコパンツで観戦。完全アウェー&疲労困憊での1対1は上々の結果。試合後シンガポールに武者修行中の義兄弟(末っ子)からタイミング良く電話があり、短い時間ながら久しぶりに3人で語る。義兄弟たちの奥さん&彼女がすばらしい相方なだけにふたりから上から目線でのろけられる。

その日の深夜、高校3年間の5割りはどっちかと一緒に過ごしたのではないかと思えるくらいどちらとも仲が良かった親友夫婦の結婚式が来年2月(=仕事の忙しさ&やりがいのある仕事のピーク時で海外進出も計画している近年で一番多忙な月)で「行くの難しいかも(泣)」という言い訳電話をかけて思い出話で盛り上がる。それにしても気持ちとしてはこの上なく祝いたい結婚式に行けないときってどうやって祝ってあげるのがベストなんだろう?ちなみに親友(のはずの)夫婦からは「あるだけ現金送って」と言われました。

いまでもたまに連絡を取り合う地元の仲間たちも家族を持ったり海外でがんばっていたりとその報告だけで励みになっているし、数年顔を見せてないエセ東京人にいつでも帰ってこいと優しい言葉をかけてくれる。

僕は昔からとてもとても友人に恵まれて支えられています。すばらしい出会いばかり。そしてそしてこういう話になると語らずにはいられないのが専門時代のエピソード。

思い起こせば6年前。3年制の専門学生2年時の僕は完全な井の中の蛙でした。たかだか500人弱の学校のなかでしか認められていないのに自分はなんでもできると勘違いし、口癖は「俺なら絶対できる」。卒業後は就職なんてするつもりはさらさらなく、自分は最初からひとりでやっていけると考えてました。

そんな僕が当時力を注いでいた活動のひとつが学生仲間で創り上げるアート色の強いファッションショーの実現。貧乏学生の自分の財布は常時スッカラカンながらその気になればスポンサーなんてすぐに見つけられると考えていました。が、当然のことながら慣れないスポンサー探しは難航。企画とアイデアだけが進行し、資金はゼロのまま時間だけが過ぎていきました。

そんなある日、のんきに夕方まで家で寝ているとメンバーから呼び出され、重たい空気のなか言われた一言が「もーあんたの『絶対』は信用できん」。

この言葉でニセモノのプライドをぺちゃんこにされて僕は目が覚めました。自分はまだなにひとつ成し遂げていないでくの坊。なにかを成し遂げる力もないし、経験もないし、人脈も、信用もない。

「自分を過信するな!まずはサッカーで、いや、まずは出版業界のなかのサッカーという枠のなかでトップを目指そう。そこではじめて自分に自信を持とう」
そう自分の考えをクリアに、目標を明確にできた瞬間でした。もしあの勘違いしたでくの坊のまま卒業してたら自分はどうなっていたのか考えるだけで冷や汗ものです。そして当時の仲間にはいまでも、いつまでも感謝しています。

とはいえ社会に出て4年半。いまだ出版業界のなかのサッカーという枠のなかでの頂上すら見えてきません。そんなに社会は甘くない。ただ無謀な目標でもないという手応えは持てるようになりました。

“日本サッカーを良くしたい”という大義名分とともに、個人的にはファッションショーの実現は今でも僕の将来に対する大きなモチベーションのひとつです。
もちろんフットサル場&スポーツバー付きの豪邸に住み、友人知人を毎週末招くという目標も変わらず大きなモチベーションのひとつです。

↓若気の至りの当時僕が作ったサイト
http://www.kasyou.com/masato/top/top.html
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by takeoverproject | 2007-11-08 18:20
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